- Yoshiko
【歌】回想録。
最終更新: 2019年11月29日
コンニチハ。
英語やプールのことを書いているので、
たまには歌の事も。
歌の事は、
語り尽くせないですね。笑
(気に入っている練習方法を色々書きたいのに、まず歌との出会いを、以下に、先に書いちゃっていますが 笑
お時間ございましたら)

回想録。
私と歌の付き合い。
弟が産まれる時の病院で待っている間(なんのタイミングかは知らないけど)、『北の宿から』(都はるみ)を大きな声で歌っていたらしい。2歳。 家ではカセットテープをエンドレスで聴き歌う。
幼稚園の送迎バスではいつも、観てるアニメの主題歌を時間ごとに最初から、モノマネで気持ち良く大きな声で歌ってた。笑 ←これは覚えてる。4〜5歳。
うちにあったオルガンで、幼稚園で歌ってる曲を覚えてきて弾く。
小学校2年生の時、上の兄弟が居る子の影響で『明星』を買い始めて、(昭和の、有名なアイドル雑誌です)
付録の歌本を見ながら当時のヒット曲は何でも歌えた。
ピアノを習い始める。小学2年生。
(担任の先生がギターを弾いて歌わせてくれるカッコいい女の先生)
小学校3〜4年生ぐらいかな、学研の付録のラジオを組み立てて(自分でコイルを巻いたんです 笑)初ラジオ。
歌謡曲のランキング番組を聴き始めた。手作りだから、なかなかチューニングが合わなくて。昭和だなぁ 笑
小学4年生の時のクラスで、学級ソングの作詞作曲を仰せつかり、友達と作る。1年間、毎日先生のギターでクラスみんなで歌ってもらえた。(フォークソングの上手な生徒思いの男の先生。)
その後ラジカセをサンタさんにもらって夜は布団の中でイヤホンでラジオを聴いていた。
(うち、なぜか8時までしかテレビ見せてもらえなかったんですね。だからラジオ。ラジオから流れるヒット曲を録音しては、覚えて歌ってました。なんでも歌えましたよ 笑)
それが小学校時代。今思えば沢山ラジオ聴いてて良かった。
小学5年生。自分で立候補して、児童会の副会長になる。毎週朝礼台でマイクで何か言う機会。大勢の前でマイクを持つ初めての経験。
そのあと子供社会の厳しさで、しばらくクラスで浮いてしまって、休み時間はずーっと読書していた時代。その時ものすごーく大量の本(200冊以上!笑)を読んだから、言葉には思い入れが出来たし、今では良かったと思う。
(後の受験はかなり国語の成績に助けられた 笑 当時は辛かったけど)
中学は水泳部で、音楽好きが集まっていたのと(みんな歌が上手だったなぁ)
音楽の先生と仲良くしてもらっていたので、
たまに合唱部になってました。
中学の水泳部の何かの集まりで、
OBさん達が来て、バンド演奏を見せてくれたんですね。それが初めて至近距離でみた、『バンド』。
すごく新鮮でカッコ良かったんですよね。
それが1つのきっかけだったのかも知れないなぁ。
卒業したらバンドをしようと話していました。
その後、高校で友人の影響で軽音楽部に入り、
高1の文化祭でお客さんいっぱいの体育館で人生初めてライブとして歌った時(ギターも少し弾いて、)
これだ!!!!と電流が走り、すごく楽しくて、衝撃の出来事。これがきっかけで今に至ります。
と、
ここまで回想録。
でも、なぜ歌が好きで歌いたいのか、説明は不能です。
なんか分からないけど、出来ないと悔しいし、歌えたら楽しくてしょうがない、それだけ。
うちの身内は、母方のいとこがお笑い頑張ってますが、
音楽は父方の祖母だけですね。
でも、ずいぶん祖母が歳をとってから会いに行った時、
三味線を習ったりした時、耳でチューニングを合わせる様や、また何気ないやりとりで、町内の太鼓のイベントを楽しみにしている姿は、
孫から見て、とてもカッコ良かったし、とてもその気持ちが分かりました。
祖母で それなので、
先祖を遡ると、もっと同じような人がいたんだろうなぁ。と思います。
(すっごい数の先祖に会ってみたい 笑)
さて、ここから練習方法。
(上記は歌が好きだと言うことを言いたかっただけね 笑)
回想録だけで長くなってしまったので、次回、練習について書きます。
良い1日を🍀
Yoshi
