• Yoshiko

【思い出】交差点の目印。

最終更新: 2019年5月2日


東京に出てきてこの秋で12年になります。

光陰矢の如し。(←言ってみたかっただけ) その間に同じ音楽教室業で勤め先を変わり、結婚をして、引っ越しました。目まぐるしく変わる新しい環境に慣れるのに必死な間にあっという間に年月が過ぎて行きました。


東京に出てきたのは大阪で講師をしていたボーカルスクールのお仕事でです。小さな教室のチーフインストラクターという大役を仰せつかり、月に1度東京の本社に出張に来ていたのですが、教室運営で地方の人の意見もという事で、東京に出てきて社員にならないかとお声がけ頂きました。33歳の夏の事です。


28歳で実家を出てから、梅田に15分かからずに出られる塚口という、たまに変なオジサンが出没するけど概ね平和な街に一人暮らしをしながら、オールディーズのバンドで歌っていました。ギターを背負っていたのでコンビニのおじさんが覚えてくれて話しかけてくれるようになり、ご近所の居心地がなんとなく良くなりました。レッスン仕事は30歳から。幸運なことにそこから音楽オンリーになりました。31歳でオールディーズをやめて1年ぐらい、ジャズのライブを少しずつしながらレッスンだけの暮らしをしていたのだけど、気持ちに余裕もあって、飲み仲間も沢山いて、楽しい生徒さん達に恵まれて、今思えば人生の良い時間を過ごせていましたね。本当に楽しかった。


そんな生活を中断して東京に引っ越して来たので、初めてホームシック(大阪シック)というものを知りました。


テレビで大阪の街が出てきたらかじりついて見て、街で関西弁が聞こえて来たら癒され、お好み焼き屋さんに一人で行けるようになり、上京ソングに涙を流し、お酒の量は増え、寂しい時もありましたね。でも仕事仲間には恵まれていたし、東京にも飲み仲間も出来たけれど。


そんな時に私には街に一つ、なんとなく目を留める目印があったんです。


出張で東京に来ていた時、物珍しくてキラキラした気持ちでそれを見上げていました。東京に引っ越して来て少し疲れて見上げた時もあったし、仕事に遅刻しそうで走りながら通り過ぎたこともあったし。いつの間にか自分の気持ちが重なっていった目印でした。


数年ぶりにそこを通って見上げたら、上京当時の気持ちが蘇って来て、もう生活に慣れた自分の成長を感じられて嬉しくなった事もありました。自分の今の居場所を知れる大切な場所になっていたのです。


さらに数年後、少し迷うことがあった時に、用もないのに遠回りしてそこに向かってみました。成長した実感や居場所を確認したかったのかもしれません。すると、、もうそれはありませんでした。外されてただの古い壁になっていました。


なんとも言えない気持ちになりましたし少し涙が出そうにもなりました。いや、正確にはちょっと泣きました、歩きながら。ただの時計になぜ悲しいのか自分でも不思議な感情でした。




大阪シックが治ったのは、もう一つ、大阪の馴染みの風景だったところがどんどん変わって、もう知っている場所じゃないんだと思って諦められたこともあります。(代わりに帰った時の楽しみも増えたのだけど 笑 結構飲みに行きますからね 笑)

それはちょうど上京10年経ったころです。時間かかりました。大人は馴染むの遅いですね。



諸行無常。(←言ってみたかっただけ)


人によると心のシンボルは東京タワーなんでしょうか。



でも、東京に来て、いろーーーーんな歌の意味や気持ちが分かるようにもなりました。

本当のことを言うと、東京に来た理由のひとつはそれです。色んな経験をして、良い歌歌えるようになりたいし、人にも優しくなりたいという気持ち。ひとつの冒険でした。


その場所、今度は久しぶりに見たら大きなパンダの絵になっていて、その後しばらくしてみたら、ちがう建物になっていました。


今では、あ~そうなんや~ てなもんです。そしてメランコリックな当時が懐かしくもあります。もう地元と かわらないぐらい、むしろ地元より落ち着く感じもします。


ま、お陰さまで概ね幸せにやっています。







0回の閲覧

​© 2019 Yoshiko Dozono All Rights Reserved.

 

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now